みなさん、こんにちは。
今日は久しぶりに中林海岸に行って、これまた久しぶりに動画を撮って帰り、それを早速アップしたということをメモだけしておこう。
特に際立った内容はないが、暇な人はご覧いただきたい。
その動画の後に「恋はやさし野辺の花よ」をそこで歌ってみたのだが、やはり最近の声は以前と違ってあまりつややかな私らしい声が出ない。
理由はわからないが、心臓の検査時と卵円孔の手術の時に2度全身麻酔で喉を挿管されたのだが、その時に声帯付近を傷つけられたのだと思う。
あるいは単なる加齢による声帯の衰えなのかもしれない。
いずれにして声がかすれがちで昔のような美声がでないのは残念。
さて、今日は大谷翔平選手がアメリカ、いやそれどころか全世界のスポーツに与えた影響、それも好影響を論じた動画があったので、一応それをここにもメモしておこう。これである。

この動画のコメントの中にある
「スポーツにおいて医学者の指摘が正しかったことは一度もない。人間は常に進化する。昔は100m10秒が人類の限界だと学者は言った。しかし今や9秒台前半だ。日本では高校野球でピッチャーは二刀流であることを課せられる伝統だ。大谷はその日本の学生スポーツの伝統から生まれたスーパースターである。」
は、私のコメントである。
アメリカ人の良いところは、too dry なところである。
アメリカ人は、何でもかんでも金で測る文化である。
しかし、大谷翔平選手がサッカーのメッシュより高額の金をもらうとなれば、素直にそれを認める。
親御さんの子供たち、高校大学生たちが、単純に大谷翔平になろうとする。
こういう平行思考がアメリカ人の素晴らしいところである。
逆に大谷を生んだ日本人の性格ではここまでドライに考えることはないだろう。
日本人はアメリカ人ほど単純ではない。
たいていはあれは大谷翔平だから出来ることだと思ってアメリカ人ほど大谷を目標にするようなことはないのではなかろうか。
しかし、もし白人選手で大谷翔平並みの子が登場すれば、世界は白人社会だ。
その人物は大谷翔平選手の遥か彼方の栄誉や給料を得られるだろう。
世界中の美女からモテモテになるだろう。
同じことを日本人がやるのと白人がやるのとでは背景にある人口が全く違うのである。
アメリカ人の親たちはおそらくそういうことを直感している。
しかしながら、大谷翔平選手の精神性、すなわち日本人性をアメリカ人が持つことはないだろう。
それこそアメリカ人最大の弱点だろう。
二刀流だけで大谷になれると思うだろうが、実はそうではない。
大谷翔平選手の、日本人の中でもさらに日本人らしい価値観、岩手の大谷家の伝統にある価値観、それが大谷翔平選手を育んだ。
これが海外の家庭ではまだまだ理解できないだろう。
仮に大谷翔平選手の曼荼羅チャートを学んだとしても、彼らの師弟が大谷選手のような、運、ゴミ拾い、礼儀をその中に加えるとは思えない。
彼らは良くてカソリックやプロテスタントだから、その思想に影響を受ける。
これがまた彼らのじゃまになる。
なぜか?
実は日本のクリスチャンたち、例えば、Heaveneseのマレさんやノートルダム清心女子大の保江邦夫博士、こうしたいい意味の良い宗教の影響を受けた人たちですら、まだ日本の中にある本当の精神性を理解していないだろうからである。
クリスチャンにはキリスト教の伝統にある価値観や精神性に制限される。
イスラムならイスラムの教義にある精神性に制限される。
いくら予言書のようなものがあったとしてもその価値観から逃れられない。
それはアルマゲドンのようにいつの時代でもあり得ることにいつも同じような思考で反応するだけで終わるからである。
1000年前にもゴグマゴグの戦いがあったとすれば、今もまた今の時代のゴグマゴグの戦いの解釈が当てはめられる。
2000前にもジハードで戦車に突っ込めば、いままたハイテク戦車に突っ込む。
これがキリスト教徒イスラム教における思考制限の1つを示す。
キリスト教は、すべてを愛で語る。
この世界には愛しかないかのようだ。
しかし愛よりも大事なものがある。
なぜか?
愛というのは、自分の個人的願望の1つにすぎない。
神との契約、これは自分と神との間の契約だ。
キリスト教の思考体型では、常に個人愛が優先される。
個人の愛だから、それを他人と共有したい。
すると自分の愛を他民族に強制させなければならなくなるわけだ。
これが中東発の宗教の本質的弱点なのである。
ところが、日本の仏教や神道ではそうではない。
神道は経典や教義を持たない。
しきたりや伝統の実践があるのみだ。
神社で参拝、朝の挨拶。
神道の様式と作法、そうしたものの日々の実践と積み重ね。
こういうものが日本の宗教の宗教的でない宗教の最大の要素である。
これは何を意味するのか?
これを最も適格に議論したのが大数学者、岡潔博士だった。
岡はこう言った。
情緒
神道の作法、日本の仏教の作法、こうした日々の実践がその情緒を生む。
これはいわゆる宗教ではないから誰もが行える。
この普遍性が日本の宗教のもっとも奥深いところである。
しかしながら、キリスト者やイスラム者にはこれは理解不能であろう。
キリストに愛を捧げるわけでもない。
モハメッドのためにジハードをするわけでもない。
ただ日々同じことを繰り返すだけ。
日々是好日
この精神で日々を過ごすだけ。
しかしこれを繰り返すうちに初めて自分自身と向き合い、本当の自分を自分自身が見定めるようになる。
これが日本の侍を通じて日本の武道に伝わった。
好きこそものの上手なれ
しかし、
知之者不如好之者、好之者不如樂之者
(これを知る者はこれを好む者に如かず、これを好む者はこれを楽しむ者に如かず)
これを知るものはこれを好むものに勝てない。これを好むものはこれを楽しむものに勝てない。
大谷翔平選手が言う。
野球を楽しみましょう!
野球をよく知るものは野球を好なものに勝てない。野球を好きなものは野球を楽しむものに勝てない。
言い換えれば、
野球を楽しむという情緒、それが一番大事だ!
ということだ。
大谷翔平選手は幼少期からずっとただひたすら今に至るまで野球を楽しんでいる。
これは日本という国にしかない。
日本のアマチュア野球の伝統である。
つまり、これは神との契約でもなければジハードでもない。
日本の情緒の1つである。
この世界は情緒で出来ている。
これが岡潔が言った最高の言葉の一つである。
白人社会にはこういう意味での情緒がない。
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